太郎山から大峰経由葛尾城まで大縦走

朝4時30分に、愛昇殿さんの駐車場にYANAGIさんと待ち合わせをし、まず、坂城の葛尾城の下の駐車場にYANAGIさんの車を置きに2台で行く・・・。

上田まで私の車で戻り、太郎山の表参道の入り口に5時30分集合した・・・。

MIYAJIMさんは、お母さんの急病で欠席となり、TADAMさん、NAKAZAさんは、裏参道の入り口まで、車を持って行き、そこから裏参道を登る事となった・・・。

YANAGIさんと私は、表参道から登る・・・。YANAGIさんは,私の後ろの方をゆっくりと登ってくるので、距離はどんどん離れるが、集合地点は決まっているので、私はマイペースで、太郎山の頂上を目指し、どんどん、先に登って行く・・・。

東峠で全員集合となり、大峰山へ向けて、出発。
昨日の雨が、今朝はすっかり上がり、空気に透明感のある気持ちの良い朝となった・・・。

大峰山に到着した時には、下界に臨む雲海が素晴らしく、朝食を取りながら、思わず、デジカメをぱちぱちさせる・・・。

大峰山〜大道山〜鳩ヶ峰へと各峯を、西に移動して行くに連れて、菅平の「四阿山」と「根子岳」の位置が、微妙にずれていき、とうとう、北側に見えていたはずのものが、東側の方向に見える位置にまでずれていった・・・。

「鳩ヶ峰」と「大道山」の間の稜線は、以前、傍陽から「入軽井沢」に入って、「十福の湯」の手前の林道を、小一時間かけて、奥まで入った時に、南側(坂城側)の直ぐ上の方に見えていた山の稜線に違いなかった・・・。
今、まさにその稜線上を北西に向って歩いている。

稜線の北側には、杉の幼木を保護するため、錆のふいた年数を経た金属製の防獣ネットが設置してあったが、ところどころ、下部に穴が空いていたり、倒木でネットが倒れていたりで、ほとんど、防獣ネットの機能は果たしていなかった・・・。

稜線上は、鉄砲打ちの人達が放った、赤い空薬莢が、あちこちに落ちていた・・・。いったい何を標的に鉄砲を撃ったのだろうか?

タラの木やワラビがあちこちに群生しており、時期になれば、きっと、たくさん採れるだろうなと思った・・・。
傍陽側の林道の名前が、「ワラビ平線」とか言っていたので、その上に当たる山なので、なるほどなと、一人で納得していた・・・。

「鏡台山」〜「五里が峯」へと稜線を延々とたどり、なんだかんだと言って、下に降りてきたのが、午後4時30分くらいで、家に帰り着いたのが、5時をとうに回っていた・・・。

YANAGIさんの今までの最短記録8時間を一時間くらいオーバーという予想が、大きく崩れ、2時間くらいオーバーしてしまったようだ・・・。
朝6時に太郎山をスタートし、午後3時30分には降りて来る予定が4時30分になってしまった・・・。

「鏡台山」頂上の記帳簿によれば、「鏡台山」には、5日前に、太郎山の名物男のIDE氏の部隊が訪れていたようだ・・・。
この山は、県外の方々にも、意外と人気がある山らしい・・・。坂城インターから近く、そんなにきつくないが、独立峰らしく、それなりに登り応えがある山なので、なるほどなと妙に納得する・・・。

「五里が峰」へは、「鏡台山」を降りてから、広めの林道沿いに、単調な登りがだらだらと続き、嫌気が差してきた頃に、頂上真下の広場に到着する・・・。

ここからの眺めは、戸倉・上山田、千曲市方面の町並みが一望出来、戸隠連峰、飯綱方面、遠くは、妙高・火打までも見る事が出来て、最高の眺めだった・・・。

「五里が峰」から「葛尾城」への下りは、以前、東信病院の先生と一緒に登った建築屋のHASIZUさんが10月の体育の日近辺に登って、マツタケを見つけたと言っていたので、どの辺りだったのかなと探しながら降りていった・・・。

村上義清の本城だった葛尾城の南端のジグザグの下り道は、29日の祭りを前にして、役員の方々により、枯れ葉の一枚も参道に落ちていないくらい、きれいに掃き清められていたのは、ほんとうにびっくりした・・・。