太郎山、+4℃少し冷え込んだ朝

少し遅く起床し、4時30分頃に表参道の入り口に着く・・・。

まだ誰も居ない・・。この時間だとkanaさん、simizさんあたりのどちらかが来ていて、いいはずなのにどうしたんだろう・・・?

ゆっくりと見繕いして、登ろうとするが、ストックを家に忘れてきた事に気が付く・・・。
今日のところは、参道入り口の「竹の棒」で、がまんしよう・・・。

どうしたのか、昨日から左手が少ししびれ、ストックをもてないほど、握力が無かったのだが、今朝はさほどではなかった・・・。

以前、通勤時に重たいアタッシュケースを右手に持ち、大屋駅まで走って行ったところ、途中の道で、車を避けて側溝に移った時、足が載った側溝の木の蓋がはずれて、思いっきり転倒し、左手を突いたので、左手首をひねり、捻挫をしたのを思い出した・・・。

とうとう、昔の古傷がよみがえってきたのかと思ったがそうではなかったようだ・・・。

どうやら、先日、西上田の虚空蔵山の入り口に、クリ茸探しに行った時、急坂を転がった際、左手の小指付近を負傷し、手の甲を山側にしてずり落ちた時の痛みが出てきたようだ・・・。

最近、靴底が減ってきたせいなのか、やたらに転倒するような気がする・・・。

それとも、もしかすると、加齢によるものなのか、どうもはっきりしない・・・。

npoさんの丁石復元の一大事業が達成し、6日の日曜日には、丁石の祓い清めの儀式も終え、一区切りとなった・・・。

参道の丁石は、見事に全部復活し、明治の初めの頃に戻り、新たな新世紀の時を刻み始めたようだ・・・。

明治の初め、太郎山の頂上には、神主さんの一家が住んでいたと言う・・・。

当時、神主さんの子どもさんが、上田の小学校(清明小学校)に通っており、学校の帰りに、道に迷っては、かわいそうだということで、迷わない為には、道しるべか何かあった方が言いと言う事で、村人達が「丁石」を置いてあげた
らしい・・・。

丁石が上田の街から見ると、人の字に置かれているいうことも、先日、初めて知った・・・。

表参道の無くなっていた丁石の屋根・火袋などの部分は、先日5日の土曜日に20人ほどで、担ぎ上げたらしい・・・。

これもnpoさんが、半分、馬鹿さ加減と若さ加減でやりきったと思うと、感慨がひとしおだ・・・。

決して単なる熱意だけでなく、根底には、地道な作業(県へ提出する活動計画書の作成や市長への陳情など)、完成までの幾多のミーティングや目標達成までの細かい計画があったので、成功裏に終わったのだと確信する・・・。

東北の震災復興でも言える事だが、人間の連帯の強さと、明るい活動が根底で支える、人の為になる事には、どこかから人が自然と寄ってくるものなんだなあと今回もつくづく感じた・・・。