雨の予想が外れて晴れとなった

朝から天気は晴れとなり、少し湿度が高く、蒸しているが、それなりに天候が安定している日となった・・・。

T家のMが、昨夜遅くに、あわただしく泊まりにやって来た・・・。
今日は中学の東信大会に行く予定があるとかで、今朝は5時から全員が起き、いつもだと、まだ寝ているはずの家内も起きて、朝飯の準備やおむすび作りなどで大忙しとなった朝だった・・・。

5時45分頃に、T家に、「運動バック」と「長袖の上着」を取りに行くとかで、おもむろに、車にMを乗せ、T家経由で中学校の正門まで送って行った・・・。

家に帰って、まだ、6時30分だったので、水を一杯飲んで、いつもの朝の「散歩コース」に、最初のコースを省略して自転車を走らせる・・・。

今日は、土曜日なので、車の量が、若干、平日より少ないようだ・・・。
太郎山を遠くに眺め、良い気分で、いつもの「コンビニ」に立ち寄り、コーヒーのホットをあわただしく,胃に落とし込む・・・。
(いつものコンビニの店長が、もう、コーヒーのカップを、レジの横に準備してある・・・)

その後、購入した新聞をさっと眺めてから、千曲川を渡り、快適に「小牧村」を一周し、「小牧橋」経由で「国分寺」に入り、神川のサイクリングロードへ出て、「笹井」から「小井田」、「殿城方面」へ北上した・・・。
(ここは、微妙な傾斜の坂が、連続して続くので、ペダルに適当な負荷がかかり、大概、一汗かく事となる・・・)

「小牧村」の入り口の畑では、いつものように「麦わら帽子のおじいさん」が、畑に這いつくばり、ネギの周りの草を採っていた・・・。
(このおじいさんは、ここに居ない日がないくらい「毎日」この畑に来ている・・・きっと、体がそうせざるを得ないようになっているんだろうな・・・、でも、元気でなければ、この真似は出来ない・・・)

また、小牧橋の下では、これも、いつものように、「ヘラブナ釣りのおじさん達」が、もう、4人くらい竿をだして、池のほとりに、パラパラと座り込んでいた・・・。
(なんで、小さな池の縁に、朝早くから座り込んで居て面白いんだろうか・・・?、不思議だ?)

国分寺の蓮池では、今朝の新聞に載っている、「蓮祭り」(7月中旬開催予定)の準備で、何人かの人達が整備に余念がなかった・・・。
(ぼちぼち、「蓮」の葉が、湖面上に大きく広がり始めて来ている・・・)

途中、高速道「ローマン橋」の下の一般道から眺めると、脚下の神川の河原にある、上小トラック会館や、株式会社M・上田営業所も、どうやら、本日は、お休みのようだ・・・。
(駐車場には、車が一台も止まっていない・・・。)

その後、自分の事務所に、立ち寄り、押し入れの中に、ずーっと、しまいこんでいた本の山を整理し、何冊か、まだ読めそうな本だけを、自宅に持って帰る・・・。

本以外の書類の山も、何とかしなければ・・・。「押し入れ」と「事務所」が悲鳴を上げているようだ・・・。

朝食を摂りながら、新聞を読み、ぼちぼち、お腹がふくれて来た頃には、朝の4時から目覚めて、NHKラヂオの「桂 文珍」の話を聴いて、くすくす笑っていた我が「脳ミソ」が、急速に休憩を求め始めて来た・・・。

その後、先日来、読んでいる、BC500年頃の弥生時代に、安曇野に中国・江南の「呉の国」から、渡来した「海人族」1100年の歴史を書いた亀山勝著「安曇族と徐福」(龍鳳書房)

安曇族と徐福―弥生時代を創りあげた人たち

安曇族と徐福―弥生時代を創りあげた人たち

が、まだ、少し、読み残してあったので、全部、読んでしまった・・・。

現代風に言うと、「安曇族」が、海での航海術を持ち、海外交流・交易が、大得意な<商社マンのセールス集団>で、片や、当時、最先端の、稲作等の農業技術・青銅器・鉄器作成・土木・建築技術などを保有していた<技術者エンジニア集団>が「徐福」ということらしい・・・。

その貿易商社の本社が、博多湾の福岡市志賀島の「志賀海神社」で、松本支店が安曇野の「穂高神社」らしい・・・。

当時とすれば、世界の最先端を行っている集団が「安曇族」と「徐 福」なのだ・・・。
また、彼らの世界最先端・最高の知識を、迎え、受け入れる集団、未知なるものへの興味・探究心を、人一倍持っている、われらが祖先、「縄文系土着先住民族」が、そこにはいたはずだ・・・。