太郎山頂上、−8℃再び冬型の気圧配置で小雪がちらつく

昨日の朝とは売って変わって、冷え込みのキツイ朝となった・・・。
小雪がちらついて、北部では大雪となっている模様だ・・・。

世界ではあちこちが準戦争状態となっているのに、平和ボケしている我々には、アルジェリアの外国人人質事件にしても、イマイチ、ピンと来ないで、ひと事のように感じるのは私だけだろうか?

宗教上、民族上、歴史上、経済上の問題が輻湊して、事件が発生しているのだが、そのつど大量の無関係な人々が犠牲になっている・・・。
人間ほど無慈悲で、矮小でおぞましい生き物はこの世にないのかもしれない・・・。

また、文明の利器で殺戮(人殺し)をやってのけるのも、地球上で人間しか居ない・・・。人間という生き物は、ほんとうに度し難い生き物だ・・・。
これの究極が原子爆弾だ・・・。

1945年8月6日朝8時15分、夏の暑い太陽が昇り始め、晴れ上がった朝、小学生は通学し、工場に動員されている人は出勤時で街路を歩き、主婦が洗濯物を干し始め、子どもが庭で三輪車に乗り始めたまさにその時、市中心部の600メートル上空でそれは起こった・・・。

この広島では、世界で最初の原子爆弾リトルボーイ」の一瞬の破裂で、瞬間的に上田市の人口と同じくらいの人々(13万人)が死に絶え、直後から地獄に苦しむ事となった・・・。
(当時、広島市内は、日本の西の軍事拠点と言われ、特に海軍の呉港が近いこともあり、30万人近い人が生活していたらしい)

放射線と爆風により、市内の至るところで、体全身に火傷とケガを負い、融けた皮膚や衣服を引きずり、うめきながら、死に絶えていく市民の人々が絶えなかった・・・。

片や、投下直後、太平洋の南の島の米軍テニアン基地では、米航空隊第509航空群のB29爆撃機エノラ・ゲイ」号の凱旋祝賀パーティーが、飲めや歌えと盛大に開かれていた・・・。
ここの主役は、当然、広島攻撃の任務を忠実に果たしてきたB29爆撃機に搭乗していた男達だった・・・。

最重要任務で緊張続きの、テニアン島から広島市まで往復12時間13分の飛行を、無事に終え、ひたすら、眠りに着きたいという乗員の気持ちなど無関係に、数千人の兵士が、パイとホットドッグを口にほおばって、一人4本の無料配布のビールに酔いしれ、ジルバのリズムに浮かれていたという・・・。
(この同じとき、この世のものとは思えない広島の地獄の惨状など、一人の兵士も知る由もなかった・・・)

自分や自分が属する集団のエゴだけで、倫理観のない無意味な行動に、(アクションを仕掛ける側には意味がある)衝動的に突き動かされるのも、これまた人間の特質といえる・・・。この究極が戦争だといえる・・・。
やはり、この世で一番恐いのは人間という結論になる・・・。